21世紀6091日目のオンガク

曲名:Remember Me(リメンバー・ミー
歌:くるり
2014年 TV『ファミリー・ヒストリー』テーマ


こないだの,NHK『ファミリー・ヒストリー』,オノ・ヨーコの回を
見逃す痛恨のミスを犯してしまって落ち込んでいる。
早く再放送してください。
オノ・ヨーコがお嬢様育ちだっていうのは,
本人の自伝的なエッセイ『ただの私』をはるか昔に読んだので,
知ってはいるのだけれど,そう言うふうにそれを追いかけるのか
番組がみたかった。

あの番組を見ていると,誰にでもヒストリーがあるというのが
しみじみと染みいるように分かる。
「人に歴史あり」
それで,私は,ライフ・ヒストリー研究というのに興味があって,
少しそのようなインタビューもしたことがあるんだけれど,
誰にだって,語れるヒストリーがあって,聞くと面白い。

我が家も,戦前戦中を今のロシアになっているサハリン
当時は樺太(からふと)で過ごした祖母がまだ97で健在で,
1945年の終戦の後(8月15日よりも後)に,ソ連軍が侵攻してきて,
祖母は赤ん坊二人(私の父と叔父)を抱えて,
北海道へ向かう船に乗るために,ソ連兵に見つからないよう,
闇夜に紛れて,何日か逃げ,ようやくの思いで,
引き上げ船に乗り,北海道へ逃げ延びた。
途中でソ連兵に見つかって殺されたりした一般人も大勢いたようだし,
また,2隻で出港した引き上げ船も,祖母や父が乗った船では
ないほうのもう1隻が,ソ連軍に沈められたそうで(軍艦ではなかったのに),
「運が良かった」という話しを聞いている。

同じく樺太で7歳まで過ごしたという親戚の伯母がこの前話していたが,
うちの祖母達のように,ソ連軍が侵攻していた時に脱出できた人以外は,
2年ほど,そのまま樺太にいて,四六時中ソ連兵が近くに居て恐かったそうだ。
小学校にも,ソ連兵がしょっちゅう来て,教室の中をうろうろ見まわったり,
家の畑の作物もソ連兵に持って行かれたり…。
子どもと年寄りが,畑仕事で必死の大人たちに代わって,
一日中外で見張りをしていたそうだ。
で,ソ連兵が来たら旗を振って知らせて,みんなで実った作物の刈り入れも
そこそこに,家の中に隠れた。
子ども達は,畑の脇に穴を掘って,その中に寝て上に蓆をかけたりして,
息をひそめて隠れたといっていた。
そうやってソ連兵に脅かされ2年経ち,ようやくみんな北海道(函館港)に
引き上げることができた。
だから,子どもの頃に住んでいた樺太が懐かしいとか見てみたいとかは
全然思わない,恐い思いばかりが思い出されるんだって。
沖縄の激戦と比べてしまえば,そう大したことはないのかもしれないけれど,
樺太へのソ連軍侵攻は,やっぱり大変なことで,
数千人が犠牲になっているらしい。

母方の祖父(明治生まれ,故人)の話しはまた面白く,函館で生まれ育ち,
昭和初期,初任給でなんとオルガンを買ったという。
その後,函館の大火を経験し,そのオルガンは焼失をまぬがれ,
今も,伯父の家にあったりする。音も出る。
函館に寄贈したら,大火をくぐりぬけたオルガンってことで,
どっかに展示でもしてもらえるんじゃないかと思ったりする。
祖父は戦争の時は(どの戦争か分からないけど),
衛生兵みたいなことで従軍したらしい。
戦後は,公務員になって北海道内の色々なところに転勤し,まだまだ
山奥だった場所でも仕事をしたり,・・・・と,
こっちも話せば長いヒストリーになる。

それに,私の甥っ子や姪っ子から見れば,私の両親は祖父母であり,
このおばあちゃんは,今の朝ドラの「ひよっこ」のヒロインと同じ世代。
そういう話しを甥や姪にするとしたら,ドラマの見方もちょっと変わるだろうな,
なんて思ったりする。

ところで。
この歌を聞くたびに,「特別な味噌汁」が気になる。
この家族の歴史と文化の中で,何かいいことがあった時は
いつもと違う「特別な味噌汁」を食べるんだろうなと思う。
どんな味噌汁なのか,本当に気になる。